バカ正直どっとこむ

シンプルに、バカがつくほど自分の感覚に正直に。自分にフィットした生き方、暮らし方、働き方を探るブログ。

友達やめたいわけじゃないけど、友達になってる人のfacebook見るのがつらいときの対処法

あけましておめでとうございます。

あきほです。

しばらくブログを放置していましたが、今日から復活しま~す。

 

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先日大人げなく、たこあげをしました。たこあげは距離感が大事ですね。

 

友達になってる人のfacebook見るのがつらい問題。

 

友人何人かと話していたときに出た話題です。

違う場所で複数回、話題として出たので記事にしてみます。

 

いわゆるfacebook見るのがつらい問題は、リア充投稿を見て落ち込む系が多かったと思います。

 

しかし、今回の場合は

あまりに相手のプライベートや脳内が筒抜け過ぎて、見てるのがつらい というもの。

 

 

たとえば…

 

子どもが欲しいがなかなかできないときに、めっちゃ子どもの投稿が表示される。

 

政治的な思想がめちゃ投稿されてる。自分からすると過激めなので、ひいてしまう。

 

自分をオープンに!と言っているが、そんなところまでオープンにされても、わけがわからない垂れ流しを見せつけられたような気分になる。

 

でも、友達をやめたいというわけではない。

もしくは、つながっている人も多いのでやめられない。

だから、困っているというのが今回のケースです。

 

距離感の歪み

ここで共通するのは、投稿している相手は悪気があってやってるわけじゃないんですよね。

自分が良いと思うもの(我が子なり、思想なり)を友達と共有したいと思ってるだけ。

友達なら分かってくれる♪という期待込みでの投稿だということは言うまでもありません。

 

ただ残念ながら、受け手側は不快なもの、くさいものだと感じちゃってる。

それが辛いから、問題にまで発展するのですが。。。

 

この問題は、距離感のゆがみが引き起こしてるのではないか…とわたしは思います。

確かに、これまでネットは距離の問題をクリアにしてきました。

今や遠くに居ても、ネットでなら、いくらでも繋がれますからね。

わたし自身も文明の利器に大いにあやかっています。

 

ただ、ネットでの発信をするときって特定の相手が目の前にいるわけじゃない。

なまじ相手が目の前にいないもんだから、リアルでの距離感なり配慮なりがわからなくなっちゃってる。

これって相手の顔が見えないほど、遠慮なく話してしまう現象と似てます。

それが問題をややこしくさせてる気がします。

 

「見たくないなら、見なければいい!」という意見もありますが、ネットって一度載せちゃうと完全に消すの大変だからね。

あと、友達だからわかってくれるよね♪という無意識の期待も実はけっこう重いです。

友達とは言え、価値観や状況は人それぞれですからね。

何にしても、やりすぎは気を付けた方がいいのではと個人的には思いますね。

 

くさいものにはフタを!遠慮なく非表示にしちゃえ!

投稿はくさいし、不快。

けど、それって相手の一部分がびみょーなだけで、友達やめたいわけじゃないとお嘆きのあなた。

っていうか、そういうびみょーな感じだから悩むんですよね。

ばっさり行けるなら、悩まんわ!という話。

そういうときは、相手の投稿を非表示にしちゃいましょう!

 

相手のページに行って、フォローを外すをクリックすれば、フォローが外れます。

そうすると、相手の投稿は表示されなくなります。

facebook上での友達関係は変わりません。

 

ついこの間もリアルで友人に伝えたところですw

 

結局必要なのはリアルでもネットでも同じこと

この問題を根本的にクリアするために必要なこと。

これはもうシンプルだと思うんですよ。

相手がいる場の発信なら、受け手のことを配慮して発信する。

ただ、それだけだと思うんです。

リアルに会ってるときは、そうしますもんね。

 

子どもが欲しいけどなかなかできない相手に、自分の子どもの話はしないでしょう?

普段思ってること全部、目の前の相手にぶちまけないでしょう?

 

リアルに変換して考えれば、すべてはシンプル。

目の前に相手がいようといまいと同じことではないかと思います。

facebookでも発信できる範囲、自分で選択できますしね。

そこのところ配慮できない相手と今後も付き合っていくかどうか?はいま一度考えてみてもいいかもしれません。

 

 

 

見えないスイッチ

こんばんは、あきほです。

SNS断ちと同時に、ブログ断ちをしていたので、久しぶりの更新となりました。

 

これから、個人向けにインタビューのサービスを提供していきます。

詳細は別記事にしますが、わたしが相手の方のお話をお伺いすることで、その方のこれまでの人生の棚卸しやプロフィールの作成などに役立てていただくためのものです。(個人的には、自分の人生を語ることで、自分のこれまでを受け止められたり、愛おしく思える側面もあると思っています)

 それにあたり、以前主催したトークライブでわたしのインタビューを受けてくださった熊谷圭子さんから、体験談をいただきました。

 

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【熊谷圭子さんからいただいた体験談】

明穂さんから「『すてきな変人トークライブ』をするから、ぜひスピーカーとして出てほしい!」と依頼を受けたのは、2年前の2013年春のこと。
聞けば、「フツーじゃないけど、ステキな生き方をしている」と明穂さん自身の目線で認定した人をゲストに迎え、みんなの前で明穂さんのインタビューを受けながら自分の話をするというイベントをするというのです。

 

「いやー私変人じゃないし、人前で話すなんてムリだよ!」と抵抗しまくる私の心を自然にときほぐし、いつのまにか「やってみる!」と言わせたのは、明穂さんの持つ人の話を聞くチカラと、「ぜったいに大丈夫!」という私に向けてくれた手放しの信頼感でした。
強引に想いをおしつけることは決してせず、こちらの気持ちをくみとりながら進めてくれる話し方と「圭子さんなら大丈夫!」という1ミリの疑いもない信頼をよせてくれたことで、「私にはできない」という思いがいつのまにか消えていました。

 

印象的だったのは、スカイプでの打ち合わせで明穂さんと話したときのこと。
「震災で被災した体験がどのように私の生き方を変えたか」ということを主軸にしてに話すというところまでは決めていたのですが、今ひとつこれだ!という感じがわいてきませんでした。震災で被災したことやその後に生き方が変わったことは、「人生に起こる試練のうちのひとつで、私にとってはそんなに大事なことではない」としかとらえていなかったのです。

 

でも、そうではありませんでした。

明穂さんの質問に答えていくたびに、震災のときのことや、あの体験を通じていっぱいに感じてきたことがどんどん私の口から出始めました。同じように被災した者どうしで「あの日のこと」をぽつりぽつりと話すことはあっても、こうしてまとまった形にして、被災地以外のところで伝えるのは初めてのことでした。
話しているうちに、震災を体験したことや体験を通して「本当の自分を生きたい!」感じるようになったことが、私にとってどれほど大事なことだったのかに気がついたのです。「震災の体験なんて、大したことじゃない」と思っていたはずなのに・・・。

 

トークライブの当日は緊張しましたが、明穂さんの自然なリードが心地よく、自分なりに落ち着いて話すことができました。いらしてくださった方が、まるで自分のことのように身を乗り出して話を聞いてくださったことを今でもよく思い出します。


不思議なことにこのトークライブをきっかけのようにして、全国各地にいる友人や知人が震災の講演会を開いてくださるようになり、去年は青森、横浜、京都、福岡で話す機会をいただきました。今年も10月に京都で講演をすることになっています。

こうした講演会でたくさんの人の会い、講演の感想を聞かせていただくたびに、「直接の被害にあった人もそうでない人も、震災を通して本当に自分が望む人生を送りたいという気持ちが強く揺さぶられているのだな」ということを感じるようになりました。
私自身も、この体験や体験を通じて感じ取ってきたことをもっともっと多くの人に伝えたい。そう思う気持ちがますます強くなっています。

 

あらためてふりかえってみると、あのときトークライブで話をさせてもらったこと、打ち合わせのときに気持ちを引き出してもらえたことが、まわりまわって今につながったのだと思います。きっと、「見えないスイッチ」を押してもらったのですね。

 

 

圭子さん、ありがとうございます!!

 

人を招いてお話を聴く会を開いてみたいと思ったとき、実はまっさきに浮かんだのが圭子さんでした。元々、圭子さんの発信されている内容、圭子さんの人柄から、もっと色々お話を聴いてみたいと思っていたんですよね。

自分では特に意識はしていませんでしたが、圭子さんの中にあるものをぜひ見てみたい!という思いが、手放しの信頼感となっていたのかもしれません。

いざ、お話を伺ってみると、スラスラ自分の言葉で話される圭子さん。

最初、どうしてあんなに抵抗していたのが不思議に思えるほど、よどみなくお話になっていました。

私自身、お話を伺うことで後日被災地を案内していただき、現地を見る機会を得ることができました。そうしようと思えたのもそれだけ、圭子さんが体験したお話から受けたインパクトが大きかったからなんですよね。

 

トークライブをしたときは今の、各地で講演していくような形に発展していくとは思ってませんでした。ただ、当時から圭子さんのスピーカーとしての力量はすごいなぁというのはインタビューを通して体感していました。

圭子さんの歩いてきた体験を興味深く聴いたこと…それがまわりまわって、きっかけのスイッチを押していたんだな…ということがわかって、わたし自身もとても嬉しかったです!!

圭子さんは現在、京都での講演を控えつつ、新しいワークショップも考案中のようでますます目が離せません!わたしもとっても楽しみ♡

これからも圭子さんの活動を心より応援しています!!

 

 

■■今回、感想をいただいた熊谷圭子さんのブログ■■

ameblo.jp

 

依存は悪か?良い依存上手は喜ばせ上手なのだ♡

昨晩は部員枠でネットラジオに出ていました。

www.youtube.com

テーマは良い依存と悪い依存について。

依存という言葉だけ聞くと、依存=悪である。

そうジャッジされがちなのですが、そうじゃないんですよね。

依存には良い依存と悪い依存があるんです。

悪い依存はイメージ通りです。

人をダメにする依存のこと。共依存も然りですね。

 

良い依存とは何か?

良い依存とはざっくり言うと、他人に頼る、助けを求められること。

人間、どうしようもなくなったときは頼りベタとか言ってられません。

他人を頼らざるをえません。

(どっちかというと、どうしようもなくなる手前で頼れるのが一番良いですね♪)

 

わたし自身はあまり頼り上手ではありません。

が、こんなわたしでも頼らざるをえなくなったことがあります。

 

初めて行く場所で待ち合わせなのに、携帯の充電がゼロになった話

2年ほど前、大阪に住む友人に会うために新幹線で出かけていったときのことです。

思えば、新幹線にコンセントついてると思ったら、のぞみじゃなかったのでついてなかったのが痛かったですね。

新幹線に乗ってる間はスマホでメールの返信をしたり、facebookやったりしてました。

電池は少し減ってきたけど、まぁ、行けるっしょと思ってました。

 

 

しかし、甘かった…。

 

大阪はほとんどが初めて行く場所。

基本的にグーグルマップ様に頼って歩くことになったのです。

そうこうしてたら、待ち合わせの前なのに、電池が…切れました。

ちなみに、このときは充電器は持っていませんでした。

ただ電池が切れる前に道を覚えていたので、待ち合わせ場所にはたどり着くことができました。

 

しかし、、、10分待っていても友達が来ない。

 

げげっ。。。

 

さすがに、ざわつきました。

これはもしや、初めての場所だし、間違えたのか?と。

でも、携帯が使えないと連絡もできん。。

道もわからん。

かと言ってやみくもに動くのも迷うし危険だ。

 

あきほ、ピンチ!!

 

当時わたしはソフトバンクiphoneユーザーでした。

周囲を見渡してみると、ソフトバンクショップがありません。。

道路を渡った向かいにはauショップが見えます。

 

ソフトバンクユーザーだけど、これはau様にお願いして、電気を分けてもらうしかない!(他に、充電できそうな店この辺で知らないし!)

 

めっちゃ恥ずかしい…が、行くしかない!!!

 

というわけで、auショップへ。

 

恥ずかしいやら申し訳ないやら思っていたのですが、こんなことに困っている状況ですと話したところ、ソフトバンクユーザーにも関わらず、快く充電させてもらえました!!!!

しかも、超親身になってくださった!!!

au淀屋橋店のみなさん、あのときはありがとうございました!!!

 

少し充電させてもらい、待ち合わせ場所を振り返ると友人がいたので無事会えました。

あのまま待っていても会えたのかもしれませんが、そこまでの忍耐力は当時のわたしにはありませんでした。

auショップの充電がわたしを落ち着かせてくれたことは大きかったです。

 

友人が時間通りに来れなかったのは電車が人身事故で遅れていたから。

いや~、会えて良かった。ほんと良かった。

 

人は誰かの助けとなりたい生き物なんだと思う

au淀屋橋店の店員さんの対応が神すぎて、ほんと泣けました。

知らない土地で連絡とれないって心細いことなんだな~ってこのとき痛感しましたから。

日本だし、言葉通じるし、別に死なないんだけど、あのときは確かに心細かったのです。

ライバル他社のユーザーのわたしを快く助けてくれた方々を見て、人は誰かの助けになりたいと願っているんだなぁとつくづく感じたのでした。

このとき、人間が持つ、透明で美しい部分を見せてもらった気がしたのです。

まだまだ頼りヘタなわたしですが、そんな人の善良な部分をもっと信じたいし、頼っていきたいと思ったのです。

 

頼る=悪ではない。むしろ、喜ばれちゃうというパラドックス

自分のためだけに生きてると虚しくなる装置が人には埋め込まれているようで、誰かの助けになってるという実感が人を人たらしめている気がします。

 

良い依存は助けられているようで同時に、相手を助けてもいる。

っていうか、これ喜ばせ上手ですよね。

だから、悪だなんてとんでもないのです。

悪いとか、恥ずかしいとか必要以上に思う必要もないんでしょうね。

深刻になりすぎず、「失敗しちゃった。てへぺろ♡助けて♡」くらいでもいいのかもしれない。。

 

快く助けてもらえるかどうかはお願いの仕方もあると思います。

重い深刻な感じで来られると相手もつらいので、その手前くらいでsosが良さそうです。ほんとに重くて大変になっちゃったときは、お金払って専門家に相談しましょう!

(心理系なら、良い人紹介します!そのときは頼ってください^^)

 

 

■プロフィール

 

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バカ正直とは何か?わたしの考えるバカ正直の定義について

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バカ正直どっとこむのバカ正直ってぶっちゃけ何なの?ってことをご質問いただいたので、今日はそこのところをお話したいと思います。

 

わたしの言わんとしている バカ正直の定義 とは、

自分にとって大事なものを、バカがつくほど正直に大切にして生きていくこと、

自分の本音をしっかり掴んで、生きていくこと

です。

 

バカ正直な人とそうでない人の違いとは?

バカ正直な人は自分に対してウソがないし、自分の本音をしっかり聴いています。だからこそ、自分にとって大事なものをしっかり知って、選ぶことができます。基本的に自分を満たすことができている人は、他人にもやさしいもの。自分自身と仲良くできている人は他人との間で無駄にトラブルを起こしません。トラブルって満たされてないがゆえの欠乏感や被害者意識が引き起こすことが多いんですよね。あとは他人にとやかく言わない。自分にバカ正直でいると、人のことも尊重できるんですよ。ちゃんと自分の人生を生きている充実感があるから。

 

一方、バカ正直でない人というのは、我慢、世間体(人の目)、忍耐が美徳。人間社会はコミュニケーションで成り立ってますから、協調してやっていくにはその3つを使うことも多いかと思います。特に日本人は世間から浮くことに対する恐怖心が刷り込まれてますからね。これらは場面によっては神器にすらなるでしょう。

人と関係を構築したり、社会をわたっていくときに、本音は握りつつ、意図してそれらを使うのは良いんです。というか、できないとキツイかもしれません。

が、その割合があまりに多くて美徳レベルにまでなってしまうと、どこか人生に対してやらされ感が出てしまうのですよ。もう、自分の本音に気づけなくなって、自分の大事なことを大切にできていないから。なんかわからないけど、いつも他人に使われているような気分になる。自分は被害に遭ってるモードになってしまうし、他人にやさしくなんてできなくなっちゃいます。

 

まとめると、バカ正直な人とそうでない人の違いは

 

・自分の本音を掴んでいるか

・自分にとって大事なものを大切にできているかどうか

 

になりますね。

 

なんで、バカ正直を提唱しているのか?

結論から言うと、平和な世界につながるからです。(あ、突然祈りに行ったりしませんのでご安心をww)

もちろん、これは極論ですけどね。

自分を大切にできている人は他人も大切にできますからね。(サイコパスとか自己愛性人格障害の人は例外) 

 

あとは単純に清々しく自分を生きている人が増えたら良いなぁと思っています。

そういう人は見てて、気持ち良いし、清々しいのです。

他人がどう言おうと、自分の生き方に満足しているからなんでしょうね。

 

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 だからこそ、自分にフィットした生き方、暮らし方、働き方を

 わたしはできれば「面白かったわ!いや~、この人生良かったー!!あきほとして生きられてほんっと良かったわ!」と言って死にたいと思ってます。

 

なんて言って死にたいかは人それぞれでしょうが、満足いく人生だったと思って死にたいというのはだいたい共通してるんじゃないかな。

満足いくって思えるのは、やっぱり自分の本音をしっかり握って、大切にしてきたかどうかだと思うんです。

だからこそ、バカ正直になって、自分にフィットした生き方、暮らし方、働き方を探る、選んでいくことが大事ですね。この人生を満足して生きていくために。

 

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シンプルライフは世界平和のカギ。徹底的に自分の機嫌をとれば、わざわざ他人を傷つける必要はなくなる。

こんばんは、あきほです。

片付けをして、シンプルライフ化したら、物欲がめっちゃ減りました。

というか、心の底から欲しい!君を大切にするよ!って思えるものと出会う頻度ってそんなに高くないですよねw

なんて言いつつ、今も物は大好きです。

物が与えてくれる豊かさとか潤いとか、幸福感ってやっぱりありますからね~。

たとえば、これなんかまさしくそう。

 

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以前にもまして、物を買うときの選択の基準がめっちゃシビアになっただけ。

(基準に関してはまた別途記事にしてみたいと思います。)

その分、しっかり調査&吟味して買うようになったので、ひとつの買い物が完了するまでの時間が長くなりました。

 

じゃあ、何が欲しいのか?

それがね~、よくわかんないなって思ってましたw

ところが!今週行った北海道旅行でそれが判明。

自分のお金の使い途を見てみたら、よくわかりました。

 

自分の機嫌をとること・体験

 

です。

 

具体的には…

・追加料金払って、ホテルの部屋のランクを上げた。

・良いお値段だけど、美味しい~、幸せ~って感じられるものを食べた。

・多少遠くても行きたいところに行った。

・たとえそんなに時間がなくても、自分を喜ばせることに時間とお金をつかった。

 

20分しかない…。でも、自分をしっかり喜ばす

北海道から帰る日、札幌界隈にいました。

なんか、ここ良いらしいよ~と夫が見つけてきた情報をもとに訪れたのは、札幌市のやや外れにあるこちら。

 

moerenumapark.jp

 

イサム・ノグチが設計した建物があるらしい…ということで訪れましたが、公園の入り口についたら、レンタサイクル受付が…!

そうか、むしろここはそういう目的の公園だったのか!とそのときになって気づきましたw

 

が、飛行機のことも考えると出発まではあと20分しかない…。

 

でも、天気も良い、超サイクリングしたい!

空気もカラリとしているし、サイクリングしたらこれは清々しいこと間違いなし!

 

という気持ちにバカ正直になった結果、20分で公園をサイクリングすることに。

 

受付のおばちゃんに事情を伝えると、20分なら、このコースで行ける!という情報を教えてくれました。

なんて親切なんだろうか。

 

サイクリングしてると、噂のイサム・ノグチが設計した建物がありました。

透明感が美しい、吸い込まれそうな青のピラミッド。

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小さいけど、公園の中に山も。

 

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公園内には2つ山があり、自転車を降りて小さい方の山に登りました。

 

札幌界隈がよく見える眺めの良さ!

頭上を飛んでるトビとの距離もやたら近いし。

 

 

写真を見てもお分かりいただけるかと思うのですが、この日はカラリとした晴天。

自転車を漕いで風を切る感覚がとてつもなく気持ちよかったです。

あっと言う間の20分でしたが、これは体験できて本当に良かったですよ!

 

20分しかないから諦めるんじゃなくて、20分でも自分を喜ばすことにエネルギーを使って良かったです。

 

自転車を返すときに、レンタサイクルを借りようか迷っている人たちがいましたが、ぜひ借りたらいいと思いますよ!と強烈に伝えたくなったほど。

 

自転車を返したあとも、受付にいた別の親切なおばちゃんが、山をバックに夫とふたりの写真を撮ってくださいました。

 

…できる、モエレ沼公園のスタッフさんたち…!

 

そして、また行きたい!(めっちゃ、おすすめですよ^^)

 

イライラ、クレーム体質の人は自分の機嫌を取っていない

生きていれば、イヤなこともあるし、辛いこともあります。

ですが、いつもイライラしてたり、いつもクレーマーっぽいことしてたりする人ってだいたい決まってますよね。

見てて思うのは、そういう人は強烈に「わたしは持ってないんだから、お前がよこせ!」「わたしをもっと大切に扱え!」オーラを放っています…。

 

仮に一時的に要望は受け入れられたとしても、近づきたくない人として認定されてたら悲しいですよね。

そんな複雑なやり方して他人から煙たがられるよりも、まずは自分自身が徹底的に自分の機嫌をとったらいいんじゃない?って思うのです。

自分で自分の機嫌とるのが難しい人は、プロにお金払ってカウンセリング受けるのも有効ですよ。

そこでプロにしっかり受け止めてもらい、満たしてもらうというのも、自分の機嫌をとるための手段のひとつです。

 (信頼できるカウンセラーさんの紹介もまた別記事でしていきたいと思います♪)

 

シンプルライフは世界平和のカギ。満たされてたら、わざわざ他人を傷つけようとなんてしない

 言い尽くされてることのような気もしますが、やっぱりそうだと思うんですよ。

自分が満たされて幸せでいたら、わざわざ他人を傷つけようとなんてしないですもん。

個々人が自分にとって本当に欲しいものがわかって、それが満たされるように生きていけたなら、ムダな攻撃や争いは減りますよね。

それどころか、自分が持ってるもの、力をどんどん人にあげたくなりますから。

シンプルになる→自分の欲するものがしっかりわかるということ。

個々がおのれの心にバカ正直になって、自身を徹底的に満たすこと。

それがひいては、世界平和につながっているのかもしれません。

 そんな世界が広がっていったらいいですね。

 

まとめ

・徹底的に自分の機嫌をとるべし

・自分で機嫌をとれないときは、プロにお金払ってカウンセリングを受けるのも良い

・満たされると、他人から奪おうとしない。むしろ、他人に自分ができることをどんどんしたくなる。ひいてはそれが世界平和につながるかも。

 

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すでにこれだけ持ってるじゃないか!ってことをありありと感じ、忘れないために、わたしは片付けをするのかもしれない。

こんにちは、あきほです。

 

片付けをしていると、今はもう不要になったもの、処分するものが出てきます。

それらを処分するときは、やっぱり胸がいたみます。

だって一度は縁があったもの。

多かれ少なかれ思い入れがあるものだから。

 

と同時に、虚しさもこみあげてきます。

恋人との別れじゃないけれど、「ずっと一緒って言ってたのはウソだったのね(なんか昭和っぽい)」と、目の前のものに無言で訴えられているような気分にも。

 

そんな気持ちと向き合いつつも、整理を続けていくと、あるとき

 

充分にあるんだなぁ。こんなに…。

何を足りないと思っていたんだろう?

 

と同時に何か温かいものが自分の内側から溢れ出てきたような感覚がありました。

 

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すでにこれだけ持ってるじゃないか!ってことをありありと感じ、忘れないでいるために、わたしは片付けをするのかもしれない。

 その温かい感覚に名前をつけるとしたら、おそらく充足感が一番近いんじゃないかと思います。

人によってはこれを愛と呼ぶのかもしれません。

 

 

丸くてピンク色した人肌くらいの温かさの物体が発熱してて、そこから熱がシュワシュワ~ッと温泉のように吹き出してくる感じ。

その熱が溢れだしてきて、無性に人に、自分が今できることを何かしたくなったのです。したいというより、せずにいられなかったに近い感覚。

 

そのとき、こう思いました。

 

…これ、自分のところで、まだまだ溜め込んでいる場合じゃないyo!

 

 

というわけで、早速プレゼント企画を実行してみた

ちょっと前まで、わたしはコーチングの仕事をしていて、心理系&スピ系の勉強もしていました。

 

が、片付けがすすむうちに、もうその分野に関しては特定の部分を除き、ほぼ満足したのだな~ということがはっきりしてきたのです。

 

色々と持っている本はあったのだけれど、その中でもこれだったら誰か必要な人がいるかもしれないな…という本を4点ピックアップ。

 

せっかくなら、本だけでなく、送料もプレゼントしたいなと思い、さっそく、facebook上でその旨を投稿をしてみました。

 

すると、ありがたいことに数時間で貰い手の方が現れたのです!

 

しかも、送料は会えるときでいいよーと言ってくださる方、

これからやっていこうとしてるインタビューの仕事に興味を持ってくださる方まで。

 

プレゼントしたいって思ったけれど、これってほぼ同時にプレゼントしてもらってますね。

そういったお気持ちも含めて、「すでにこれだけあるし、持ってるんだなぁ…」ということを再びありありと感じることができたのでした。

 

出したら減る、無くなるっていうのは幻なのかもしれない

なんというか、この体験で出したら減る、無くなるって幻なのかもねって思いました。

一時的に減ったり、無くなったりしたように見えることはあるけれど、必ず何らかの形で帰ってくるもの。

 だって、出したらちゃんと帰ってくるんだもんw

信頼して、どんどん出したらいいですよね。自分が持ってるものを。

損する~とかケチケチしたこと言わずに。

 

受け身でいると実はそれだけで出し惜しみしている

 こんな風に書いてますが、わたしは元々受け身な人間でした(/ω\)

今でも、自分からガンガン行こうぜ!ってタイプではありません。

これは必要そうだな~って思ったときに関わるってスタンスです。

手厚すぎる介入をする方もされる方も得意でないので。

 

で、受け身の話。

受け身って、基本、相手から貰ってなんぼですよね?

で、相手の出方を見て、こっちもどうするかってやり方だと思うんです。

 

それってつまり…

まず相手から貰えない限り、わたしゃ何も出さないよ? って言ってるってことなんですわー。

つまり、広く解釈するとこれは出し惜しみになるのではないかなぁと。

もっと詳しくいうと、出す機会を自ら損失しているって感じですかね。

 

やっぱり自分から出せる方が気持ち良い

受け身のスタンスってたぶん、棚ぼた的要素も強いと思うんです。

しかし、いつ落ちてくるか分からん棚ぼたに懸けるよりも、自分から何かを出せる関わり方ができた方が気持ち良いよねって思うんですよね。

 

これは偉いとか、正しいとか、徳が高いとかではなく、単純に清々しいから。

たまに誤解を受けることもあるけど、良いって思ったものを出してれば、だいたい良いものが返ってきますし。

自分から清々しい循環を作っていけると、自他ともに満足度が高いし、自分で自分の人生しっかり握れている充実感もありますよね。

 

まとめ

・すでにもういろいろ持ってるってことを実感したいときにはぜひ片づけを!

・充分あるので、出し惜しみする必要なし!

・出す機会を自ら損失する必要なし!必要そうなら、どんどん出しちゃおう!

・自分から出すと、循環もできるし、清々しい。

 

 

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よそ行き服をあえて家で着てみて感じた効果3つ

こんばんは、あきほです。

 

持っているお気に入りを最大限活用したい!

 

ということで、よそ行き用のお気に入り服をあえて家・近所にいるときも着るという試みを始めました。

 

いたむ。

シワになる.。

汚れる。

 

と言う三大理由で、これまでお気に入りをよそ行き用にしてました。

しかし、よそ行き用と家用を分けなくてもいいんじゃないかしら?とこの間ふと思ったのです。

 

なぜなら、そんなによそに行かないしw

(仕事のときは服装が決まっているので、着ていけないし)

 

クローゼットで着ない服があるのがイヤw

 

 

 

いま、一番気に入っているのは今年買ったマリメッコの黄色のワンピース。

 

 

 

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せっかく気に入っているなら、もっとガンガン着た方がいいじゃないか。

っていうか、you着るために買ったんだろ?

もったいないじゃないか。

 

いつ着るの?

 

今でしょ!!!!

 

という、己のこころにバカ正直になってみたのです。

 

 

やっぱり、お気に入りを着ると気分よく過ごせる♡

いざ家でも着てみると、やはり気分が良いものです^^

最初心配していた汚れに関して…着て生活してみましたが、別に汚れはしませんでした。

 

料理するときはエプロンつけてやりますしね。

もっとも、今のところ我が家は子どももペットもいないので、それが可能なのかもしれません。

 

なぜか家事や作業、考えるべきことなどがはかどり、パフォーマンスがあがる♡

家にいると、ついダラダラ~っとしてしまうものですが、そういったことがほぼ無いのです。

 

気分よくいると、おのずと動ける状態になるようで、家事や作業、考えるべきことなんかもはかどりました。

 

どうやらお気に入りを着ると活力が湧いてくるみたいです。

 

さすがに今日は掃除をしまくるぞ!っていう日は、動きやすいという意味でお気に入りを着た方がいいとは思いますが。

 

こういった点でも、本当に気に入っているものを選んで身に付けるって想像以上に大事なことだなと思います。

 

お気に入りを家でも着るってことは、家の中でも、自分をもてなすことになるのかも

 人間、人目に触れないときは、わりにどーでもいい格好をしがちですがw

人目に触れなくても、自分をどう扱ってるかを自分自身がしっかり目撃してます。

たとえ、他の人の目が無くても、自分にしっかり手をかけることは自分をもてなすことになるのでしょうね。

 自分の機嫌は自分でとれるようになるっていうのも、ひとつのマナー。

やっぱり、自分が機嫌良くいないと、なかなか他人に優しくしようと思ってもできないですしね。

 

 

まとめ!家でもお気に入りを着てみると、こうなる!!

・まずはおのれの感覚にバカ正直になって、大好きなものを着よう!

・着るなら、外でだけじゃなく、身近な家でも。着ることで気分よく過ごせるし、パフォーマンスもあがっちゃうよ!

・家の中でも、自分をもてなすことになる。