バカ正直どっとこむ

シンプルに、バカがつくほど自分の感覚に正直に。自分にフィットした生き方、暮らし方、働き方を探るブログ。

シンプルライフを始めたわけ

もともとわたしはなかなかに欲深い人間だった。

あれもこれも欲しい。どれも取りこぼしたくない。

ゆえに、物事の取捨選択がとても苦手だった。

同時に、そんな自分がとてもイヤだったし、自信もなかった。

それを何とかしたくて、特に20代は自己啓発にいそしんでいた。

 

けれど、そこでいくら新しく人と知り合っても、新しい何かを学んでも本当に心満たされる時間は多くはなかった。

 

どうして、こんなに多くを得ているのに心満たされないのだろう?

ちっとも幸せだと思えないのだろう?

 

わたしの本当の望みはなにか?

 

ずっと、それを知りたくてしょうがなかった。

それを探しに、来る日も来る日もわたしは外へ出かけていった。

 

 

30代も半ばにさしかかった半年ほど前、変化が起きた。

 

◆これまで、「興味がある」と思って取り組んできたことにてんで興味がわかなくなってしまった。

 

これまでは、いわゆるアドレナリン中毒だったのだと思う。

欠乏してる感じが前提としてあって、そこからでないと動けなかった。

足りない!ないと困る!だから、それが欲しくて欲しくてしょうがない状態。

だから、欠乏しては求め、欠乏しては求めの繰り返しだったように思う。

 

そのサイクルがぷつっと切れた。

半年くらい前に。

 

全身から力が抜けてしまった。

強烈に何かを欲することがなくなってしまった。

身体を支えるもの、むしろ身体と同一化していたくらいのその欲求がなくなって、あしたのジョーのごとく真っ白になった心地だった。

 

…次に自分が何をしたらいいかまるでわからない。

 

これまで、次々にやることを求めてきたわたしに、とても心細い状況がいきなり到来した。

 

◆求めてきたこと、なんとなく側においてきたことは、ある意味、自分の心細さをなんとかするための鎧だった。

 

 そうか、当時は鎧を着込んでいたのか…ということに、これを書きながら気づいた。

 

最初は心細くてしかたなかったのだが、そのうち何か出てくるであろうという予感があった。

 

というより、ここで何かが湧いてくるのを待たずして、新しく何かを求めるという選択肢はわたしにはありえなかった。

 

いくら心細かろうが、もう余計なものを自分にくっつけたくないという思いの方がそのときには強くなっていたからだ。

 

◆自分にとって本当に必要なものがあればいい

 

20代の頃に、あれやこれや自分にくっつけてはひっぺがしを繰り返した結果、思うようになったことがある。

 

自分にとって本当に必要なものって、わざわざ外に求めにいくものなのか? ということ。

 

むしろ、いろいろくっつけすぎ&着込みすぎで単にわからなくなってるだけじゃないのかと。

 

だったら、いっそのこと余計なものを徹底的に脱いで、ここらで自分の望みをはっきりさせようじゃないか。

 

自分の望みにバカがつくほど正直になってみせようじゃないか。

 

そこから、わたしのシンプルライフ化が始まったのだ。